山口盆地に優美な稜線をみせている姫山には、地元でも有名な伝説があります。
姫山の登山口に、「大内さとづくりまちづくり推進協議会」が設置した説明看板があり、そこに、このように紹介されています。
「その昔、殿様が、美女を見初めて、無体な恋慕をよせ、殿中に捕らえ入れて想いをとげようとしたが、美女は節操固く殿様の邪意を受け入れなかった。殿様は美女を縛って城の井戸に釣り下げ蛇ぜめにした。美女は悶え苦しみ、美しく生まれた身のつらさを、二度と後々の女性にさせぬため
『この山の上から見えるかぎりの土地では、永久に容色兼英の女性は生まれぬように』
と悲しみ悶え死んだという。」
この伝説は、調べたところ、有名なわりには、あまり本には掲載されていません。
また、本によっては、「殿様」や「美女」の設定が微妙に違います。
調べたかぎりで判明した「姫山伝説」を下記に掲載します。
文章はリライトしていますが、設定や、美女のいまわの台詞など、根幹部分はそのまま転載しています。
読み比べてみて下さい。
初めに大正時代の地元の新聞に掲載されたものから。読む機会がないと思いますのでこれは全文掲載します。
当時のセンスが分かる、伝説のふくらませ方です。時代によってふくらませ方が違います。また、美女が投げ込まれたのは井戸でなく、部屋になっています。
(新漢字、新かなづかい等読みやすいように改めました)
防長新聞 大正7年1月15日・16日号
「山口の伝記 姫山の美女蛇責め」植村香村
山口町の附近平川村に姫山と呼ばれる山がある。打ち見たところ平々凡々格別変わったところでもないが、そのくせ名だけはすこぶる高い。それは一齣の怪奇なロマンスを持っているからでそのロマンスというのは次のごときものである。
何でも大内氏第二十六世義隆卿の時代とかに、山口に非常なる美女があった。花顔細腰明眸皎歯、小野小町か、衣通姫か、否、それよりもずっとずっと美しいだろうと人々に持て囃されて、その名声は遠近に轟き渡るに至った。このことがいつしか義隆卿の耳にも入り、殿も興ある事に思われ、ある日侍臣に命じて、美女を館へ召し出された。
義隆卿は美々しく着飾って坐に着かれた。小姓は長剣を捧げて従った。名ある家臣は綺羅星のごとく居流れた厳かな光景である。
美女はしとやかに進み出て、静かに定めの席へ着いた。
「面を上げい」
こうした声がかかると、美女は顔を上げた。嬌羞は含んでいるけれど、少しも臆する色はみせなかった。
殿はじっとそれをみつめられた。果たして世にも稀なる美女であった。
夢見るような黒瑪瑙の瞳。
玉葱色の唇。緑なす黒髪の匂い。殿は恍惚と、とろけんばかりの心地になられた。
やがて引見御儀式は終わった。
その後、殿は美女を寵姫の一人に桑用として、種々と手をつくされた。
けれど美女はその意に従わなかった。彼女は清純な童貞を守りたかったのである。
口説いても、口説いても、駄目であった。いかなる甘言も功を奏しなかった。
彼女の前には、虚栄に憧憬する浮ついた心は微塵もない。妾になって栄耀栄華するよりも、陋巷に童貞を続けて行くことがいかに尊いかしれなかった。
広大な主君の威光も、ついに彼女の魂を動かすことは不可能であった。恋に目のない義隆卿も、到頭立腹された。そして美女に堪え難い苦痛を与えて、失恋の鬱憤を散じようと思われた。かくして、世にも恐ろしく痛ましい、それは聞くだに身の毛のよだつ惨劇が展開されたのである。
恋に狂って、人間の残忍性を遺憾なく曝け出した義隆卿は、こっそりとある事を、家臣の心利いたものに命じた。
ある夜、一挺の駕籠が、数人の警護の武士と駕籠人夫とによって、秘やかに館を出た。その一行は道を急いで、とある山の上へと登って行った。
山上には、すでに怪しげな固屋が一つ建てられてあった。その固屋の前まで行くと、駕籠は下ろされた。そして、一人の美しい若い女が、荒々しい武士に引き出されて、固屋に入れられた。
人跡絶えた山中に、これは又何という出来事であろう? けれどもその美女が例の美女である。といってしまえばこの疑いは氷塊するであろう。
美女の蛇責めは開始された。
数さえ知れぬ多くの蛇は、一疋ずつ美女の部屋に投げ込まれた。五疋、八疋、十疋、十五疋、二十疋、三十、五十、七十、百……、二百……。
その蛇は一疋ずつ、鎌首をもたげて、美女のほうへのたくって行った。美女の暖かい肌の甘酸い香を慕って―ー。
そして、勢いよく身体を匐い廻ったり、巻きついたりした。赤い、二つに避けた細長い舌を、ベラベラ閃かして嘗め廻しもした。
美女は苦しんだ。悶えた。そして、悲鳴を挙げた。それでも、主君の心に従おうとはしなかった。
そこで、今度は、美女から、その衣類をことごとく剥ぎ取った。燃ゆるような猩々緋の腰巻一つにしてしまった。磨きあげた白玉のように美しく艶々した肌であった。見るからにその肌の下には、青春の暖かい真っ赤な血潮が躍流してる事が感じられた。もし手を触れてみたら、どんなに柔らかく、そして弾力性に富んでるであろうか、と思われる好い肌であった。
けれども今迄の苦悶に元結が切れて、丈なす黒髪はうなじに垂れさがり、美しい顔は血走って、妖かにも物凄かった。
そんな事には頓着しない惨忍な武士は、さらに蛇の数を殖やして責めた。
蛇は女の首へ巻きついた。手へ、足へ、からみついた。太ももへ巻きついてるのもあった。
美女は絶え入るような悲鳴を挙げて到頭悶絶した。蛇はところかまわず噛みついて、肉は破れ、血は流れた。口からのたくり込んだのは、腹の皮を食い破って、ニョッキリと顔を出した。ふくよかな乳房を食い切ったものもあった。
彼女は断末魔の苦しさに叫んだ。声を絞って――。
「ああ!!! 美しく生まれたものは禍いだ。わたしはこの山から見えるところには、美女を生ませない」
かくして、彼女は言うようなき苦痛懊悩のうちに、その美しい一生のページを閉じた。童貞のままで……。
それから、その山を姫山と呼ぶようになった。山口に美人の生れ出ぬのは、姫山美女の呪詛によるということである。
昭和6年刊行 「趣味の山口」防長史談会編(1992年復刻版)
「山口の城下に美人がいた。この土地を支配する殿様が彼女を見染めた。殿様は館に来るよう申しつけ、御意に従うようにと命じたが、彼女は屈することを潔しとしなかった。
彼女は或る夜いましめの縄をかけられ、密かに姫山の頂に送られた。そしてここで裸体にされて古井戸の中になげこまれ、そのうえ数多の蛇で責め殺された。
臨終の苦悶に彼女の叫んだ、
『美貌に生れた身のつらさを二度と後の世の女性にさせない為このお山から見える限りの土地には今後永代美貌の人を生ませない』
という呪いの言葉が真実になってその後は絶えて山口付近に美人が生まれなくなった。」
(伝説の山口-伝説の姫山)
昭和8年刊行 山口市史
「姫山に、昔或る、豪族が意に従わざる美女を古井戸に投じ、其の上多数の蛇を入れて惨死せしめたという伝説がある。」
(伝説雑録 一六、蛇責)
昭和10年刊行 「日本各地伝説集(山陰・九州篇)」大木紅塔著 国元出版社発行
「山口長者の娘お万は山口きっての美人だった。お万は旅姿の若衆に惚れ、相思相愛になった。町の若殿はお万をいつかわがものにしようとおもっていたので、その噂を耳にしてあわてた。若殿は山口長者を呼び出した。
『お万を私のそばで召し使いたい』
すでに長者は娘と若衆の仲を認めていたので困った。
『私の一存では決められません。娘に承諾させねば』
お万は嫌がり、長者は断りに御殿へ行った。
長者はそのまま留置され、お万も捕まった。
『意に従わねば、父の命はないぞ』
『この事以外ならば』
父はその場で殺され、お万は姫山にこしらえられた荒木の檻の中で蛇責めにあった。
『自分たちの不幸はわらわの美貌がゆえの災厄であった。これから町に生まれる娘共には決して美しい顔容を与えまい』
とお万は祈りつづけて亡くなった。
幾年かのち、若殿の残虐性に山口の町で暴動が起こった。首謀は旅姿の若衆だったという。」
(美貌を徂む長者の娘(山口県山口市)山口町は美人の出来ぬ町)
昭和33年刊行 「大内村誌」大内公民館
「大昔、山口に美女がいた。ある日、山口に居た殿様が見染め、美女を召し、意に従うよう迫ったが、他に約束した人がいたのか、どうしても従わぬ。殿様は、美女を姫山の頂上の古井戸に投げこみ、井戸の中の蛇をして蛇責めにして殺した。
美女の死ぬときに、
『私は美女に生まれたばかりにこんな苦しみをうけることになった。後の世の女性のために、この山から見えるかぎりの土地には、美女は生れさせぬ』
といった。
それからは、山口には美女は生れぬことになった。」
(第十三章 伝説と民俗 第一節 伝説 一 姫山の美人伝説)
昭和46年刊行 「山口市史各説編」山口市
「むかしむかし山口の城下に美女がいた。山口を治める殿様が見染めて、館へ召し、意に従うよう命じたが、美女には他に意中の人がいたので、従わなかった。
殿様は、美女に縄をうたせて姫山に送り、頂上にある古井戸に投げ混み、その中へあまたの蛇を投げ入れて、蛇責めにした。
美女は苦しみの中で、
『この身がかりそめの美しさに生まれたばかりにうけるこの苦しみを、二度と後の世の女性にはさせないためにも、この山から見えるかぎりの土地には、これから後は美しい人を生まれさせはせぬ』
と叫びながら死んだという。
それからは、この美女の呪詛がほんとうになったのか、山口には美女が生れぬことになったという。」
昭和47年刊行 「平川文化散歩」石川卓美著 山口市平川公民館
「昔、大内氏が栄華をきわめたころのことらしい、山口に美女がいた。殿様が美女を見そめて殿中に捕らえいれて思いをとげようとした。美女は殿様の邪恋を受け入れなかった。
殿様はある夜家来に命じて、美女を縛って姫山の上にある城に連れて行かせ、井戸の底につり下げて美女を蛇責めにさせた。
美女はいまわの言葉に、
『美しく生れた身のつらさを、二度と後の世にさせないために、この山の上から見える限りの土地では、これから後、永久に女性は容色美しく生まれないように』
といって死んだという。」
昭和59年刊行 「歴史物語シリーズ⑦山口吉敷歴史物語」瀬戸内物産㈲出版部発行
「昔山口に美女がいたが、城主の意に従わなかったので、姫山の城中の井戸で蛇責めにされた。女は美しく生れた不幸を呪って死んだので、その後山口には美人が生まれないようになった。」
平成6年刊行 「防長歴史探訪 三」山口銀行編・刊
「姫山のふもとに美女が住んでいた。この美女を土地の領主が見染めた。領主は強引にわがものにしようとしたが、美女はこばみつづけた。
怒った領主は美女を、姫山の井戸に投げこみ、蛇責めにして殺してしまった。
美女のいまわの言葉は、
『なまじっか美人に生まれたために、この苦しみにあわねばならない。二度とこのような苦しみにあわないためにも、この姫山から見える土地に美人が生まれないように』
というものであった。」
(悲しむ女性の物語-姫山伝説(山口市))
平成17年刊行 「図説山口・防府の歴史 山口県の歴史シリーズ」郷土出版社
「姫山の附近に美女が住んでいた。美女を見初めた領主がわがものにしようとしたが、美女は拒みつづけた。怒った領主は姫山の上にある城へ連れていき、井戸に投げこんで蛇責めにして殺したという。美女のいまわの際の言葉は、
『美しく生まれたばかりにこの苦しみを味わう。二度とのちの女性にこの苦しみをさせないために、この山の上から見える限りの土地では、これから以後、永久に女性は美しく生れないように』
と、悲しんで死んだという。」
(山口への侵入をさえぎる要地の山城 伝説の残る姫山)