大内文化まちづくり~甦れ歴史空間~|山口県山口市

大内文化とは

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京都文化と大陸文化の受容と融合による、国際性ゆたかな独自の文化

山口の成り立ち

山口の地理 交通の要所

画像:山口市の場所

大内氏が本拠とした山口は、本州最西端にある山口県のほぼ中央に位置する盆地で、当時は周防国の一部でした。
盆地の南寄りを瀬戸内海へ通じる椹野ふしの川が流れ、中央を椹野川へ通じる一の坂川が南流し、これらが河川交通路を形成していました。

また、日本海沿岸の港町肥中ひじゅうと山口を結ぶ肥中街道、石見国と周防国を結ぶ石州街道など、瀬戸内や山陰方面へと通じる陸路がいくつも交差する交通の要所でした。

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西の京 山口

近年の発掘調査により、14世紀末から15世紀初頭ごろまでに大内氏は本拠地を山口に移したと考えられるようになりましたが、以前は『山口古図』(山口県文書館蔵)の記載から、1360年頃、大内弘世が山口に居館を移し、京都を模して町づくりをはじめたとされていました。弘世は、盆地の中央に居館を構え、町を縦横に区画し、町名には大路・小路の名を付すなど京都の風雅を取り入れ、神社としては祇園社や北野天神を京都から勧請したとされています。

また、山口は京都に似て、風水における四神相応の地(東北西の三方が山で囲まれ、南に平野・河川が配されている。)であり、中央を貫流する一の坂川は京都の鴨川に見立てられたといわれています。

画像:山口古図
『山口古図』(山口県文書館蔵)

大内氏時代の文化

大内氏の特質

15・16世紀の東アジア海域交流に大きな影響を及ぼした大内氏は、守護として室町幕府の傘下に身を置く一方で、百済国王族の末裔であることを主張しながら、朝鮮王朝をはじめ、中国大陸の明国、琉球王国とも活発な通交を行いました。
大内氏は、天皇や将軍を頂点とする日本の国家秩序と、明国皇帝を頂点とする東アジア海域の国際秩序との両方に深く関わる特異な存在でした。

画像:大内氏の特質

大内文化の遺産

大内氏が本拠と定めた山口には、領主大内氏の特質を反映して国際性豊かな文化-大内文化-が花開きました。大内文化は、京都的要素、大陸的要素、京都的要素と大陸的要素の融合などによる独自の要素という3つの要素を併せもっています。

画像:大内文化の遺産

文化財

京都的要素を持つ文化財

大内氏館跡[おおうちしやかたあと]

京都の室町将軍邸を範としたとされる2町四方(1町=約109メートル)という巨大なもので、池泉庭園や枯山水庭園が設けられ、儀式や宴会の際には手づくねのかわらけ(京都系土師器)を大量に使い捨てにするなど、京都のもてなしの手法を取り入れていたことがわかっています。

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大内氏築山跡[おおうちしつきやまあと]

館跡に隣接した1町四方の別邸で、多くの公家や文人が訪れました。連歌師宗祇そうぎは、その景勝を「池はうみ こずえは夏の 深山みやまかな」と称えています。また、筝曲組歌の発祥地とされています。

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八坂神社本殿[やさかじんじゃほんでん]

大内弘世が京都から勧請したものと伝えられ、これに併せて(山口)祇園祭も行われるようになりました。7月20日の「御神幸ごしんこう」(みこし奉納)に先立ち、「鷺の舞」が奉納されます。

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大陸的要素を持つ文化財

凌雲寺跡[りょううんじあと]

大内義興の菩提寺で、惣門跡とされる高さ約3メートル、長さ約60メートルの長大な石積は、朝鮮半島の城郭やグスク石垣との共通性が指摘されています。

画像:凌雲寺跡

乗福寺跡[じょうふくじあと]

大内重弘が創建した寺院で、朝鮮半島に由来をもつ龍や鳳凰の文様の瓦が大量に出土しており、瓦は朝鮮半島の技法を用いて日本で制作されたものであることがわかっています。
県指定文化財「紙本墨画淡彩[しほんぼくがたんさい]乗福寺伽藍図」乗福寺蔵(画像拡大)

画像:乗福寺跡

独自の要素を持つ文化財

瑠璃光寺五重塔[るりこうじごじゅうのとう]

大内盛見が兄の菩提を弔うために建立しました。初層内部の仏像を安置するしゅみだんは円形で、他に類がありません。近世初期に萩への移転が計画されましたが、山口町民の嘆願により差し置かれました。

画像:瑠璃光寺五重塔

古熊神社拝殿[ふるくまじんじゃはいでん]

大内弘世が京都から勧請したものと伝えられており、「楼拝殿造り」と呼ばれる大内氏治下における独自の建築様式です。楼拝殿造りでは、楼門が拝殿の役目も兼ねるため、床板が張られています。

画像:古熊神社拝殿

常栄寺庭園[じょうえいじていえん]

世界平和会議が選定した「世界十大文化人」の一人である雪舟が作庭したとされています。雪舟は大内氏の遣明船で明に渡り明国の画風を学び、帰国後も山口を活動の拠点として多くの優れた絵画作品を創り出しました。

画像:常栄寺庭園

興隆寺跡[こうりゅうじあと]

大内氏の氏寺として栄え、日本と朝鮮の意匠が入り混じった和韓混淆鐘わかんこんこうしょうという珍しい型式の梵鐘が現存します。
「興隆寺伽藍図」興隆寺蔵(画像拡大)
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画像:興隆寺跡

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