大内文化まちづくり~甦れ歴史空間~|山口県山口市

日本最初の眼鏡は大内義隆がかけた?

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眼鏡レンズ(遠視用)の原理を最初に発表したのはアラビアの数学者、西暦1000年前後のこと。この原理に触発されて眼鏡(遠視用。近視用はもっとずっと後)が生れたのは西暦1285年前後、ヨーロッパでのこと。その眼鏡が西域から中国に入ったのは明代のことらしいです。

さて、日本では。
現存する最古の眼鏡は大徳寺にあるそうです。中国からのもののようで、伝承ですが、足利義政 → 足利義晴 → 大徳寺とわたってきたということです。

眼鏡自体は現存しませんが、眼鏡についての最古の記録は、ザビエルが大内義隆に献上した品目の中にあります。

フロイスの「日本史」には、 ザビエルが大内義隆の住んでいる山口の市に戻って来た時、同地に住むために、国主の好意と愛顧に与からんと十三の立派な贈物を贈呈した。時計、鉄砲、緞子、美しい結晶ガラス、鏡、眼鏡などであり、その他、インドの初代司教と総督からの書簡を添えた、と紹介されています。

また日本側の記録~多々良盛衰記など~では、天竺人からの不思議な贈り物のなかに、老眼でもあざやかにみえる鏡というのがあります。

天竺人となっていますが、これがザビエルのことです。当時の日本は唐・高麗・天竺が全世界で、唐人でもない高麗人でもない人は天竺人とされていました。

これらの記録をもとに、日本最初の眼鏡はこのときの眼鏡と一般にはいわれています。

いま眼鏡をかけている方々、いかがですか、大内義隆も眼鏡をかけていたときくと、義隆を身近に感じてきませんか。
眼鏡をかけていた大内義隆の姿・・・想像してみると面白いかもしれません。

参考資料:「眼鏡の社会史(著作:白山晰也 ダイヤモンド社 1990)」
「山口県史史料編中世1(山口県 1996)」

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