醒睡笑 上・下 安楽庵策伝著 鈴木棠三校注 岩波文庫 1986年
この書物は寛永5(1628)年に成立したもので江戸時代の書物ですが、作者の安楽庵策伝は天文23(1554)年に生まれており、室町時代~安土桃山時代~江戸時代と生きた人です。
この本は策伝和尚が生涯にわたって耳にふれたおもしろおかしきことを書きとめたもので、日本の笑話集の最古といえる書物です。
この中に、山口に関する逸話が1つ、大内氏に関する逸話が2つ掲載されていますので紹介します。
○商い宗祇 〔落書(巻之一) 二五〕
祇公、周防の山口へ下向ありつれば、
都よりあきなひそうぎ下りけり言の葉めせといはぬばかりに (上巻 P54)
これは、宗祇が山口に下るときに、おそらく都でつくられた落首です。
宗祇をはじめ当時の連歌師などは各地の大名を訪れたときにはけっこうな謝礼を頂いています。そういう田舎大名を相手に稼いでいることを笑った落首です。笑われたのは宗祇か、宗祇に金を払う田舎大名か、それとも下る宗祇をとめられない都の人か。
この落首は当時の文化人の様子を表す落首としてよく知られています。しかし、それが山口の大名=大内氏が相手だったとは。
○ふみ違えの歌〔■【女+花】心(巻之五) 二六 〕
周防の太守大内殿の北の御方、在京の程ある内に、ふみ二つのぼせり。御台へのをば取りちがへて、お花という女房たちへやり、お花のをば御台へあげまゐらせし時のかへりごとに、
思ふかた二つありその浜千鳥ふみちがへたる跡とこそ見れ(上巻 P357)
○なびくなよの歌〔■【女+花】心(巻之五) 三七〕
大内殿在京の時、京より御台へ、
なびくなよ手馴れし庭の糸薄いかなる風のたよりありとも
大内殿御台の返歌
風もなしなぶかぬものを糸薄君を思へばこころみだるる
■【女+花】心は「きゃしゃごころ」と読み、風流心、みやびな心掛けをいいます。
その巻に大内氏の逸話がでてくるところをみると、大内氏の風流心は広く認識されていたようです。
また、索引の人名をみると有名な人が多く、しかし当時の史上の人物が全員でているわけでなく、そういう点でも大内氏のエピソードが、たとえそれが噂にすぎないでも、掲載されているということは、すごいことなんです。