大内政弘は応仁の乱で活躍した武将としてだけではなく、高校の教科書に必ず載っているように准勅撰連歌選集「新撰菟玖波集」を後援し、文化史にも名を残しています。また個人歌集「拾塵和歌集」を遺すほどの歌人です。当時政弘ほどの大名が個人和歌集をつくるというのは稀有なことでした。
大内氏館には通称「大内文庫」と呼ばれる書物の収集庫がありました。その全貌はあきらかにされていませんが、大内氏代々に渡る収集活動の結果、かなりの量と高い質をもっていたのではないかといわれています。
政弘も書物の書写や収集に熱心でした。
その数は他と比べようがないほど多いことから趣味ではなく意図的な活動とおもわれ、また、集められた書物から当時の知識世界が伺えます。
政弘の時代に下記の書に関しての書写や収集の記録が残されています。
政弘が明らかに関わったもの
書写
- 伊勢物語
・・・文明年間初め、連歌師正徹自筆の「伊勢物語」を権大僧都持孝(三井寺僧)に筆写交合をしてもらい、のち長享元年に娘武子に与えた。 - 貞応本古今和歌集
・・・文明3年、藤原定家自筆の古今集を聖護院道興に筆写を頼み、足利義視に外題・奥書を書いてもらう。 - 花鳥口伝抄
・・・文明6年、一条兼良に筆写交合してもらう。源氏物語の注釈書。 - 伊勢物語愚見抄
・・・文明8年、一条兼良の同書を同氏に贈られる。(文明13年三条公敦、勝音寺で筆写交合) - 花鳥余情(再度本)
・・・文明8年、一条兼良から贈られる。(文明12年三条公敦、勝音寺で筆写交合) - 古今和歌集一部十巻
・・・文明10年、秋月弘種から二条為世筆の同書を進献される。 - 古今集細字註
・・・文明13年、三条実継本同書を三条公敦に筆写させる。 - 青表紙本源氏物語五十四帖
・・・文明13年9月、飛鳥井雅康(宋世)に筆写させる。 - 「井蛙抄雑談」雑談記
・・・文明16年7月、三条公敦が文明8年に書写した頓阿「井蛙抄雑談」の一部である雑談記を贈る。二条派の歌論書。 - 長秋詠藻
・・・長享元年3月、藤原俊成の長秋詠藻を三条実隆に書写交合してもらう。藤原定家の父の家集。 - 樵談治要
・・・長享元年8月、樵談治要を入手。樵談治要とは文明10年一条兼良が足利義尚のために書いた書。 - 蹴鞠条々
・・・長享3年3月、飛鳥井栄雅(雅親)から蹴鞠条々を贈られる。 - 連歌十問最秘抄
・・・延徳元年夏秋、三条公敦に連歌十問最秘抄を新写(以前二条良基が大内義弘のために書いて贈っていた)させる。 - 河内本源氏物語54帖
・・・延徳2年6月、竹内良鎮大僧正よりその兄一条兼良が書写交合した河内本源氏物語54帖を贈られる。 - 新古今集及び仮名序
・・・延徳2年、政弘より依頼された三条実隆、書写交合完了 - 新続古今集
・・・延徳2年、姉小路宰相基綱より、書写して贈られた。 - 源氏物語青表紙本と河内本との相違
・・・政弘の命により猪苗代兼載注付、三条公敦外題書記。 - 拾遺和歌集
・・・延徳3年、政弘より依頼された飛鳥井雅康、書写交合終了。 - 続拾遺和歌集
・・・延徳3年、政弘より依頼された三条実隆、交合終了。 - 金葉集(一部)
・・・延徳3年、前関白近衛政家より書き与えられる。 - 和漢朗詠集
・・・明応4年8月25日、下向してきた兼載が政弘に権跡本和漢朗詠集(帝室御物本)を贈った。
出版
- 金剛般若経
・・・文明13年9月3日、父教弘冥福を祈るため同書を出版する。
その他
- 大蔵経
・・・長享2年、この頃政弘は大蔵経13部所持。完本は8部。なかでも7部はすぐれ、そのなかでも1部は上々。 - 北野縁起
・・・延徳4年1月14日、政弘が北野社へ寄進する。
その周辺
- 藤原定家撰僻案抄
・・・文明12年、三条公敦が勝音寺で同書(古今・後撰・拾遺三代集の注釈書)を定家自筆本で交合。 - 御注孝経
・・・文明18年3月、三条公敦が大内義興に御注孝経(三条公忠が後小松天皇の読書始めに書写進献した家重代の宝)を与える。 - 伊勢物語山口抄
・・・長享3年5月8日~(延徳元年)8月21日、宗祇が山口で伊勢物語の講釈を行い、伊勢物語山口抄となる。 - 雨夜談抄
・・・延徳元年12月、三条公敦が宗祇著雨夜談抄を書写交合。源氏物語の第2章である帚木巻の注釈書。 - ちどり(源氏御談義)
・・・平井相助が四辻善成の源氏講筵に列して書きとめたもの。 - 聚分韻略
・・・明応2年、虎関師練著の同書を周防真楽軒が刊行。
参考文献:「戦国大名の文芸の研究」(米原正義 おうふう刊)