大内文化まちづくり~甦れ歴史空間~|山口県山口市

十朋亭維新館企画展「杉民治 至誠に生きた松陰先生の兄」

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十朋亭維新館では7月1日(水)から9月23日(水・祝)まで、企画展「杉民治 至誠に生きた松陰先生の兄」が開催されました。
(前期:7/1~8/11、後期:8/13~9/23、以下後期展示を紹介)

 

杉民治(梅太郎)は弟吉田松陰を献身的に支え、役人として地方行政に尽力しました。
萬代家とも縁の深い民治の、人柄や業績を振り返る企画展です。

海防問題を説き討幕論を唱えた僧月性の剣舞の図。
月性は杉家に泊まるなど梅太郎と親交を深め、弟松陰も多大な影響を受けました。
月性門下の活動家・学者の大楽源太郎や、長州藩の家老清水清太郎とのつながりを伝える手紙も残されています。

 

元治元年(1864)政務座役となり、政事堂の重役たちと協議するため萩から山口にやってきた高杉晋作が、梅太郎に宛てた手紙。
竪小路の萬代家から3・4軒上がったところの古見嘉兵衛宅に宿泊しており、急ぎの話もあるのでお越しください、と頼んでいます。
高杉没後、松陰生誕地の傍に建てられた墓標背面には、高杉の人物像を伝える民治による文章が刻まれています。

 

藩政期から県政時代にかけて、当島・浜崎宰判(萩市西部・浜崎町周辺等)の代官や第三大区区長(岩国市・周南市の山間地域)などを歴任、水道・道路敷設や水田開発、紙の専売制廃止に伴う施策など、人びとの暮らしのためのきめ細かい統治を行いました。各地にその業績をたたえる記念碑が遺されています。
民衆統治の実績により、明治2年藩主から「民治」の名を賜りました。

 

民衆教諭(教えさとすこと)策の一環として、毛利敬親公の功績をまとめた『忠正公御事蹟説諭略記』や、母の病を治すため命を落とした兄弟の伝記『香川津孝子伝』などの出版にも尽力しました。

民治は萬代家とも深い縁があります。
萬代家には民治が当主利兵衛に宛てた手紙が伝わっています。
維新後、萬代家の2階建の建物で塾を開いて青年に学問を教えていたと伝わります。
松下村塾再興や萩の修善女学校校長に就任するなど、教育者としても尽力しました。

“至誠”を大切にした松陰。兄民治の生涯・人柄からもまた、“至誠”の現れをうかがい知ることができます。

 
杉私塾(杉民治が塾を開いたとされる場所)

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