山口市歴史民俗資料館で1月7日(火)から3月16日(日)まで、「氷上山興隆寺~大内文化隆盛の記憶~」展が開催されました。
現在、宅地化されている大内氏の氏寺・氷上山興隆寺や氏神・妙見社のある谷の一帯は、中世の大内氏の時代には、この展覧会で展示されている「氷上山興隆寺之図(レプリカ、原資料は山口県文書館)」に見られるように、広大な敷地に寺院が軒を連ね壮観で、氷上山の中腹には妙見社上宮のある神聖な地域でした。しかし、大内氏滅亡後、毛利氏の崇敬はあったものの、徐々に衰退し、大祭「修二月会」も行われなくなり、往時の姿は不明瞭になってしまいました。
その中で、今回の展覧会では、大内義興が願主の興隆寺の本尊釈迦如来座像と同じ京都から招いた院派の薬師如来坐像や本尊と同じ作者(「院慶伊豆法眼」)の慈覚大師円仁像、江戸時代に編纂された「防長古器考」に記載がある舞楽に用いる衣装を納めた大内菱の入った唐櫃、大内氏の祖先とされる琳聖太子のものと伝わる平安時代の宝剣と注文通りに制作された拵、後土御門天皇筆の県内最古・最大の「氷上山」の木造扁額など、現在まで断片的ながら興隆寺に伝わっている数々の文化財が展示されており、全盛期の大内氏領国の精神的な中心地だったこの地域を垣間見ることができました。